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映画を通じて学ぶ自分らしく生きるためのエッセンス
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こんにちは!
映画好き自由人です!


今回は映画『ハッピーフィート』から
感じたことを綴っていきたいと思います。


まずその前に
ご覧になられていない方はこちらから

前編
中編
後編


この映画に込められているメッセージは案外多くて重いです。

序盤では、
『他のペンギンとは違っている』ということからの
『自分らしく』というテーマ。

中盤から終盤にかけて、
『環境に対する人類への警告』


それはそれでメッセージ性が確かにありますが、
個人的に1番印象的だったのは、

『水族館に閉じ込められることで
 動物的本能を忘れてしまったマンブル』


でした。


南極の自然で暮らしていた時は、
エサを狩りに行くために、海へ出てきます。
しかし、そこにはシャチヒョウアザラシといった皇帝ペンギンの天敵が・・・。

つまりエサを獲りに行くにもリスクがあったわけです。


しかし、水族館では何もしなくても
勝手にエサが与えられるのですね。


それによってマンブルは生気を失っているシーンです。

それ以外にも環境が劇的に変わって、
自由に生きていけなくなったという理由もあるとは思いますが・・・。




以前、どこかで読んだ本にもあったのですが、

「熱帯魚は適温で完璧な状態を維持した水槽の中で、適量のエサを与えるよりも、
 熱帯魚の天敵一匹水槽に入れるだけで寿命は伸びるのだと」


それと同じで、
リスクがないと『生きる意味』『生きる目的』を失ってしまうのです。


それは人生においても当てはまるのではないかと。


安定しきっていて、自動的に振込まれる収入。
その代わり、与えられた仕事を淡々とこなし、
そのために一日を費やす毎日のルーティンに人生の目的を失った・・・
そんな目をしてうつむくサラリーマンを実際に電車で見かけます。


批判しているわけではないですが、
安定という『楽』を求め、
リスクを避け続けてきた人生の成れの果てではないかと思っています。



以前僕自身、多大なるリスクを負って、
劇的に環境を変化させたことがありました。


あの時ほど
『自分は生きてる』と実感したことはありません。


日々の義務や与えられたものから開放される。
しかし、それは同時に自分から動いて人生を切り開くことを余儀なくされるのです。

今までのしがらみが全てなくなった。
ところがアクションを起こさないと、明日食う飯がなくなり死ぬ。
だから自らが何するか決めて行動しまくってましたからね。
(そもそもなんでこうなったのか、経緯はいろいろあります^^;)



この経験から、
自分自身で自分の人生を動かす時ほど、
『生きてる』という実感が湧くのだと知りました。



さて、今の現状を今一度振り返ってみましょう。
今やっている仕事や物事。

それは
与えられているのか
それとも
自分自ら望んで得たものか



『与えられる』
それは確かに楽でリスクほぼありませんが、
先ほどの水族館で言えば「エサが自動的に与えられている状態」です。


『自分自ら望んで得る』
大きなリスクや周りの批判を喰らうことも時にはあるでしょう。

しかし自分自身が前方にベクトルを向けている状態。
つまり『積極的』な姿勢なのです。

これは「自分のエサは自分で獲りに行く」
すなわち、生きるために自ら自発的な行動の表れです。



今必死にやっていることは、
『受身』なのか『自発』なのか?
そして多少なりともリスクを感じて人生に刺激を加えれているのか?

を考えさせられる作品だったと思います。



まとまりがなくなってますが、
以上で感想終わりです。

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